ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

女将思い出語り

私の古渡更紗帯

早いもので、かれこれ四十年ほど前に主人が古裂に興味を抱き、近所の骨董屋廻りを始めました。その頃は古裂に、さほど骨董的価値を見出す人が少なく、もっぱら茶道具人気でしたから安値で買い求められたので、徐々に収集量も増えて参りました。

そんな中で特にインドより渡って日本に入ったインド古渡り更紗が好きで「このままにしておくとボロボロに風化してしまう!」という危機感から、古裂を細かく切り石畳風に組み合わせ、更にそれらを象の糞で染めたインド木綿地の上に貼りつけて、一本の名古屋帯に仕上げました。主人にとって人生初めての作品となりますが、商品にするには未だ自信がなかったので、私の手に渡されました。

今に至り、一点一点の更紗を観ると、現代ではとても高価な古渡笹蔓等、古渡を代表するようなインド更紗が集結して一本の帯となり、宝物を身にまとっている感覚です。

私は日常、着物を着る時に「今日はどんな帯をしめようかなあ…」と迷う時に、いつも手に取るのがこの更紗帯で、草花の帯と違い、インドから大陸を渡って日本にやって来たこの異国情緒感が日本の着物にマッチして新しい雰囲気を醸し出し「いつものと違う私!」と気分が良いのです。

長い歴史の中で時間を乗り越えて来た古渡更紗…更に魅力的な古裂である事をそのつど再確認です!この帯は結城・紬のきもの、小紋、付下など幅広い着物にとても良く合い、満足!満足!です。

中村吉右衛門丈の想い出

恐れていた知らせが入ったのが十一月月二十八日深夜でした。中村吉右衛門丈が亡くなったのです。七十七歳の生涯でした。

昨年春にお会いした折に「八十歳になったら人生最後の勧進帳の弁慶を演じるのが楽しみなんですよ!」と腹の底から実に嬉しそうに、ハツラツと凄い情念を持って「勧進帳」への思いを語り、私も是非とも!是非とも!と拝見を期待し、あわよくば同じ舞台で孫の丑之助君が成長して義経を演じてくれたら、見応えのある舞台になるだろう…などと勝手な想像をしながらお話を伺っておりましたが…。

その後少しずつ体調を崩され、舞台を休演することも度々となり、不安と心配が続きました。

 

私と吉右衛門丈のご家族とは、菊之助さんの奥様となられた瓔子さんが小学一年生になったばかりで可愛い盛り、いつもお母様の後からそっと顔だけ出してじっと私を見つめるお姿も思い出しますが、それから今日までお着物等のお引き立てをいただきましたが、私的なお付き合いもさせていただきました。四人のお嬢さんたちが代わるがわる我家へ遊びにいらしたり、一緒に文楽を観に行ったり、又お父様の「鬼平」撮影の合間にご家族一緒に貴船や鞍馬山へお父様のナレーション付きで遠足したり、帰りの山路はみんな「キャッ!キャッ!」と賑やかに、騒ぎながら歩き回った楽しい思い出があります。

女性ばかりに囲まれた天下の「鬼平」もさすがに形なしで荷物を背負ったり、お嬢様方の後身を押して石段を登ったりと、満更でもない極上のお顔で嬉しそうでした。

 

中村吉右衛門丈は外見的に、確かに実像もその通りですが、体勢を崩すことなく寡黙で常に頭の中は舞台の事を考えていらして、初代がどのように演じていたか…等と熟考しておられました。その熱心さで私たち観客はどっしりとした重厚な舞台を拝見する機会に恵まれたのですが…。周りの人々を近づけさせないような硬派であった事も真実でした。

舞台と以外の吉右衛門丈は実にシャイで京都へいらしても一緒にお食事をする人は限られていましたが、その中に私を加えて下さって、奥様と三人で度々、楽しく卓を囲めた事は、大変光栄な事でした。

話題は歌舞伎のお話は勿論ですが、絵を描くことがお好きで、鴨川の四季風景でお気に入りの場所とかを長々と饒舌にお話し下さいますが、私も興味深々なので何かと質問責めになると生来の生真面目な人柄なので全てに応えて下さいました。そんな時はふっと歌舞伎役者を忘れさせるような親近感で、接して下さいました。

とても学識が深く、物事を多面的に解釈して語って下さるので、実に勉強になる事が多かったです。

 

近年は舞台で使う小道具を自分好みに新調する為に京都へお運びになり、その折七年程前になりますが、当方主人に「俊寛の衣裳をつくりたいけど…」と依頼がありました。俊寛は時代考証上から平安末期からの柄でないといけないので、当方主人も時間をかけて四・五両(枚)の小袖を集め、それを更に切り継ぎ接ぎした後、繊維をボロボロに破れたり切ったりするのですが、やはり時間のかかるご依頼でした。

その後準備中に主人が病魔に冒され、続きに吉右衛門丈が入院と…各々が闘病生活となりました。二人とも健康を取り戻し、各々の道を再び歩む事を念じ、期待しておりましたが、主人が先に、そしてその一か月後に吉右衛門丈が西方浄土へと旅立ちました。大変口惜しく、残念な事でした。

吉右衛門丈の柩の上には、主人が俊寛衣裳用にと残した古裂の一両を棺掛布にして覆わせていただきました。

合掌。

「相変らず…」の有難さ

年末が近くなると床間の軸は「無事」と書された掛物に替えます。今年も家業、家族に何事もなく「相変らずの一年だった…」と云う意味を持ち、感謝と来年も「相変らずの一年でありますように…」と祈る気持ちで床飾りをします。

しかし、ここ二年間は年末にこの軸を掛けても、コロナ禍で人の心が閉ざされ虚無感で毎日のニュースも悲惨な事柄が続き、全世界が「うつ状態」でした。

コロナ禍前の日常生活を我々は当然に、そして更に不平や不満を胸に溜めながら無意識に時間を浪費して過ごして来ました。平時の日常が非日常に変化した時、人間の心の弱さ、集団から産まれる恐さは心の不安定さを増幅します。

この経験から私たちは日常些事の取るに足りないような事柄が改めて有難い事を痛感しました。十月からは行動も緩和され、少しずつ小さな光が見えて来たような気がしますが、浮き浮きする心をおさえて、一歩一歩慎重に日常生活に戻していけたら良いだろうと感じますし、以前に浪費して来た「相変らずの一日一日の大切さ」を実感しつつ、感謝して丁寧に生きたいと思います。

私もこの一年は悲しい別れも経験し、決して「相変らず…」ではありませんでしたが、だからこそ日常些事の有難さを念頭におき、大切に過ごしたいと思います。