ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

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値段って一体何だろう?

先日ある作品展で某織物作家の作品が気に入り、早速連絡先を探して購入の話を切り出した。

作家の代理人に私は赫赫然々、京都の祇園で呉服商を営なんでいると伝えると「それでは本来30万円のところを業者価格の15万円です。」という返事であった。

15万円は確かに値打ちがあるので「では!買いましょう。」と答えて一件落着したのだが、後になって考えてみると、もし私が一般の消費者なら30万円で買う羽目になってしまったはずだ。ではその作品の値段は本当はいくらなの?と疑問が残った。

先方の気持ちはよくわかる、私がぎをん齋藤の顧客に売る際にあまり高くなっては商売しづらいとの配慮からの値下げなのだろうが、作家ご本人はそれで納得しているのだろうか?

自分の作品を自分で値段を決めるのは当たり前のことで他人が決めることではない。自身で15万円と決めた作品を消費者に30万円で売って呵責は残らないのだろうか?自分の評価の倍のお金が手に入るのだから不満はないだろうが釈然としないはずだ。

物の値段を作者もしくは作社が決めたのなら相手が誰であろうと、どういう立場の人であろうと押し通すのが筋ではないか。ぎをん齋藤は昔から一切値引きはしない。値引きするのなら最初から値引いた価格を表記すべきだと思う。

コンピューターを振り返る

コンピューターという言葉が身近に感じるようになったのは、私が27-28歳の頃だから今から40年程前になるだろうか。

その頃はまだ「電子計算機」と呼んでいたと記憶する。いわゆる「電卓」の大型版で加減乗除を瞬時に正確に計算するものと認識していた。

NECが発売した確か「PC-8801」というパソコンを買い込んでコンピューターとは何者か知ろうとした矢先、友人の一人が京大の電子工学科博士課程を修了したので彼から専門的過ぎる知識を取得できた。

会社にPCを導入して最初に手掛けたのが顧客の寸法表を記憶させる作業であった。それ以前は手書きの表を使っていたので書き間違えることも時々あって、お客様からクレームを頂戴することもあったが、PCのおかげでその憂いはなくなった。それ以降、経理事務は言うに及ばず織物の紋紙や商品の画像保存までコンピューターが活躍している。

特に近年、世界中のコンピューターをつなぐインターネット機能がコンピューターの主たる機能になって久しいが、もう次のAI(人工知能)に主役の座を奪われる日が近い。

これだけ生活に深く入り込んだコンピューターと今後どう付き合っていけばいいのか?コンピューターから得られる膨大な情報をどう消化して自分の主体性を保つ事ができるか?どうやら人間は大きな化け物を作ってしまったようだ。

一つの仮説

染織の歴史を辿ってみると、中国と日本における発展の違いに気付く。絹糸と絹織物の原産は中国だが、9世紀の遣唐使廃止以後に日本の進む方向が変わったと考える。


 源氏物語絵巻(12世紀)より

中国、隋、唐時代(6〜10世紀)絹織物の頂点を迎え、錦織をはじめあらゆる織物が花開いたが、染物についてこれといった品は刺繍以外見当たらない。

一方、日本が渡来系職人の指導により彼等にも劣らぬ織物を完成させたのは天平時代(8〜9世紀)であったが、遣唐使の廃止以後日本は国風化が起こり漢字から仮名文字を編み出すと同じように絹は織物から染物への利用が多くなったと私は考える。

なぜこのような違いが生じたのか?

その答えの一つが「水」ではないかと考える。中国文化の中心は中原(ちゅうげん)にあり、現在の河南省辺りを指すのだが、あの地域は良い水に乏しい地域である。染物にはふんだんな水が必要で染め上げるまでに大量の清水が必要となる。

一方織物や刺繍は糸さえ染めておけば場所があれば仕事にかかれる。この差が両国の染織文化の違いを生みだした大きな要因だという仮説である。

生憎「辻ヶ花」以前の染織品が未だ国内で確認されていないが、鎌倉時代に描かれた絵巻物には几帳に秋草のようなものが描かれたり女性の小袖に絞りの鶴のようなもの描かれていたり、有職衣装とは別に私生活で使用された素晴らしい衣裳があったはずである。


 春日権現絵巻(14世紀)より

日本の染織史を完成させるためにも9世紀から13世紀の遺品が発見されるのが待たれる。