ぎをん齋藤
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今年も落選「伝統工芸展」

掲載の辻ヶ花染帯を「伝統工芸展」予選に出品したが、今年も見事!落選の通知をうけた。大変残念だが審査員の眼と私の眼と見るポイントが違っているようである。

 

 

展の趣旨が現代に生きる伝統工芸の技を生かした新鮮なものを評価しようとしているとしたら、私の考えと違うかもしれない。私の試みは、現代の技術でどこまでオリジナルに近付けるかを目指している。従ってハッキリ言って新鮮さは無い。ただ染織を心から愛する私にとって、過去も含めて最も美しいと感じるものへ、現代の技術を持って近づきたいと願うのが偽らざる気持ちである。

 

私は拙著「布の道標」にも書いたように「物は人が作るのだが、人は時代が作る。従って物を作るのは時代である。」と、あの戦乱の世に湧き上がる生に対する情熱が辻ヶ花のような傑作を創り出したのだと。

 

振り返って現代はどうであろう?平和ボケした頭でヴァーチャルな戦闘ゲームに血道を上げる人に、明日をも知れぬ生の歓び、熱狂、猥雑があるだろうか?そんな現代から新鮮で力のある染織品が産みだせるのだろうか?私は無理だと思う。

 

勿論、大勢の中には時代に流されず自己を追い詰め切磋する人もあるだろうが、そんな人がきものや帯を目指すだろうか?確率は圧倒的に低い。従って、辻ヶ花に勝る染織品は現代から生まれないというのが私の結論である。

第69回  秋の京都展

69年目を迎える京都展。京都での展示会は以前は9月に入るとすぐに開催していたが、ここ数年前から10月に入ってからの開催としている。会の責任者を営業担当の社員に振り分け、企画、日程などテーマ商品の決定以外は任せているので、社員の個性が発揮されて面白い。

 

 

今回のテーマは新しく柄を起こした「唐代裂」である。織物の歴史を遡る私のライフワークも終着点に近づいている。絹織物で現存する最古のものは「後漢時代」だから、残された時代は「随」と「後漢」の2つである。ただ「唐」を含めて古いものは、いわゆる「縦錦」で作られているので、複製を作るのは現代では採算ベースにはならない。

 

そしてもう一つのテーマが「摺箔」など黄金を扱ったもので、今回、力を入れて製作したので秀作が揃っていると自負している。

 

全ての商品がオリジナルという他の店では見られない物を展覧できるのは幸せな事である。全商品を展覧する年二回の展示会に是非お運び頂ければ、日本の染織品の素晴らしさを再確認していただけると確信している。

「クリムト」

先日、TVでクリムトの名画「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 」を主題にした作品を観ることができた。第二次世界大戦中、ドイツ軍に接収された「アデーレ」を元所有者から返して欲しいとの依頼を受け、若い駆け出しの弁護士とユダヤ人の元所有者が見事に最高裁判所まで勝ち抜き、ウイーンの美術館から返還を受けると言うストーリーである。これはフィクションではなく、実話だと解説されて一層の感動を覚えた次第である。

 

クリムトは20世紀初頭、ウィーンで活躍した奇才で「アール  ヌーボー」の立役者と言える。「アデーレ」は同じ女性をモデルに何枚か描かれたらしいが、映画で扱われたのは全面黄金で装飾され、構図が非常に複雑な1枚である。

 

 

それは慶長小袖にあるような意味不明の取り方(線で囲われ他の部分から独立した面)の中に、また不思議な黄金の装飾が施されているのも共通している。モデルの女性が身につけている物は、ゴージャスなダイヤモンドのネックレスと黄金のブレスレット。まさにアール ヌーボーの最盛期を象徴する装身具である。

 

黄金色に魅せられた人々が時代を問わず人種を超えて存在してきたのは事実で、私のように21世紀の人間でさえ共感を憶えるのは、人間の本性に黄金が仕掛ける魔法のようでもある。