ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

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面白い本を見つけた。

先日、自宅近くの本屋で面白い本を見つけた。

タイトルは「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか」という珍しいタイトルである。論理(サイエンス)と感性(アート)を対峙させ、ビジネスにおいてアートがいかに大切か、理論づけて説明するというものである。

 

著者は若いが、中々面白いところに着眼していると感心させられた。と同時にビジネスとアートの関係は、私が7代目を継嗣した時からの宿題でもある。著者いわく、論理でビジネスを突き詰め、利益を上げ続ける手法は限界に来ている。その結果、コンプライアンスを低下させ、不正に発展させるのだと。むしろ感性(アート)を軸にした経営こそビジネス統治の基本とすべきという。まさに私が行っている「妥協しない物作り」は、論理(サイエンス)とは真逆のやり方である。

 

物を売るには買いやすい価格を提案するのが、論理からすれば当然であるが、それでは自分の感性が納得しない。納得できるまで作り込むと値段が高くなる。当然のことであるが、だからこそ他店の物と差別化できていると思う。高いか安いかは消費者の懐具合と買った時の満足感次第だと思っている。この自信を身につけるまでに経験と時間が必要であった。

 

見習い織職人 Nさん

昨年6月に研修生として齋藤織物に入塾したNさんが異例の早さで、この1月より正社員になり、プロの織職人として働くことになった。

これは異例の早さで、通例最低1年は塾生として技術を磨いてもらう必要があるのだが、Nさんは持ち前の熱意と技術習得の早さで、半年で職人としての技術を身につけた、正に天職と言うべきか。

古来、木綿や麻など日用的な織物は女性の専業として自給自足の歴史がある。そんなDNAを強く受け継いだNさんである。

織物会社の中は、大きく分けて3つの仕事に分類することができる。「織職人」「糸巻き、配色など準備作業員」と「織物設計者」の3つである。この中で極端に難しいのは「織物設計者」である。

経糸と緯糸をどう組み合わせると仕上がりはこうなると、設計する仕事で、コンピュータに例えるとプログラマー(設計者)とキーパンチャー(織職人)の関係である。しかも現在の西陣にはプロのプログラマーはほとんどいないのが実情である。私でさえ当社の川口部長に全面的に頼っている。

今後の西陣織を展望すると、このプログラマーを養成出来なければ過去の遺産を食い潰すしかないであろう。

きものをアートに昇華できるか?

最近日本の伝統的な食、住が欧米で見直され、再評価される例にいとまがない。

寿司は以前から海外でも知られているが、最近では和食が世界遺産に登録され、もてはやされいる以外にも日本酒、熟成肉、和菓子、盆栽、京都に押し寄せるインバウンド客の増大、若冲ブーム、そして日本人建築家による建物や現代アートなど20世紀初頭のジャポニズムを連想させる事象が巻き起こっている。

 

しかし「きもの」は一向に評価が上がらない。私はそれは当然だと感じている。今の染織業界は私も含めて作品に芸術性と力が欠けていると思っている。精神性がないと言った方が正しいかも知れないが、売ることばかりに傾倒してアートとしての精神の高揚が感じられない。

 

形は問題じゃない、安易な染織技法への拘泥と精神性に欠け、古い技法に頼りすぎている。もし、脱皮を本気で志せば、日本人の繊細な感性と表現力で衣類としてではなく「観賞用芸術品」として海外でも認められるはずである。安易な転用で誤魔化そうとしても目の肥えた欧米人には通用しないと知るべきである。

 

「じゃ、お前は出来るのか?」と尋ねられると、「今はできない。」と答えるしかない。職人による分業制を長年保持してきた染織業界を職人のマインドから変えていくには、強い指導力と私自身が目指すものをイメージできるかが問題だ。