ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

ブログ

登録商標

 

以前から「御所解帯」のタレ裏に染め抜いてある「齋」の印は商標登録している。最近はネット売買が頻繁に行われるようになったので、余計に商品に責任を持つ為にも再度10年の登録を継続する事とした。

今後は新しく定番化する「純金摺箔帯」や「御所解帯」だけではなく、全ての商品に印す方向で検討している。一昔前は人の古着をわざわざ買い求めるのは特殊なマニアだけであったが、ネット売買がすっかりマーケットの様相を変えてしまった。

もっとも江戸時代にも古着屋は多く存在したらしく「袖」一枚でも売買されていたと聞く。エルメスのバッグに象徴されるように、「ケリー」や「バーキン」などは数多い偽物や本物の中古品が高価な値段で売買されているが、これはエルメスというブランドの高さが招く有名税?のようなものだと私は理解している。

「御所解帯」も35万円位に値上げすればコピー商品が溢れると思うが現行の24万円ではコピーするのは難しいと承知している。今話題になっている「知的所有権」問題、中国の無法ぶりを非難するのは当然だが、日本も同じ道を歩いてきた国である。文化の成熟には時間が掛かるのだ。

「出会い」の大切さと感受性

人や物との出会いは、人生の未来を大きく変えて行くことになる。

例えば40年前、織物のことを何も知らない私に「齋藤織物」設立へと手ほどきしてくれた織職人がいた。人格的には問題があって長くは続かなかったが、織物のイロハを教えてくれたのは確かだ。

6年前、奈良の古美術商で「正倉院裂」に出会い、思い切って購入し、その出会いで私が裂コレクターとして認知され、細見美術館での展覧会、更にはNHKでの番組放映へと導いてくれた。また「杉本博司」氏との出会いは、きものをアートとして創り出したいという私に、大きなヒントと閃きと偶然性の大切さを教えてくれた。

これらの出会いを「運命の一部」と片付けると話は終わってしまう。逆に出会いが運命を変えていくとも言えるが、一つの出会いが、今後大きく自分を変えていくだろうと感じる「感受性」が大事である。

今回私が取り組んでいる「摺箔」は、まさに「出会い」といっても良いほど手応えと「ぎをん齋藤」の素晴らしい未来を予感している。言葉を変えれば、長年探し求めてきた「美の形」がはっきりと見えたのである。

美学と宗教

一見何の関係性もない言葉だが、よく考えると類似点を見出すことが出来る。

江戸時代にも「宗門争い」と言って、学者や僧侶がいかに自分の信じる宗派が相手より優れているか議論されてきたが、結局優劣の決着をみることはなかった。同じく美学においても、狩野永徳と長谷川等伯のいずれが勝るかの論議も盛んであった。

自分が信じる美が相手の主張するものより素晴らしいと論議してみても、どこまでいっても平行線で終わる。これは美人コンテストで優勝者と二位を決めるのとおなじで「好み」の問題である。

そもそも宗教は、手段は違っても救いを求める弱い人間を救済することに目的があって、優劣を競うものではない。まして宗派間の争いで血が流されるのは本末転倒も甚だしい。ただ信徒や僧侶は自分の信じる宗教を、唯一無二だと信じることは必要で、それでなければ布教活動は上手くいかない。

美の世界も同様、我が社で働く者は私が作るものを唯一無二のものとして信じてもらわなければお客様に自信を持って勧めることは出来ない。営業マンは「ぎをん齋藤」教の熱心な布教者でなければいけない。