ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

ブログ

私にとってのコロナパンデミック

以前から社員には人生には好調期、衰退期の他に「まさか」という予想も出来ない驚くべき坂があるもんだよと教えてきた。

それがコロナパンデミックであったとは。。

時も時、オリンピック、パラリンピックが日本で開催されると日本中が熱気に溢れ、

日本への観光ブームの期待もあって内外の投資家は、ここぞとばかりホテルラッシュが最高潮に達した、そのタイミングで

コロナウイルスの世界的なパンデミックが広がった。

お陰で旅行関連、ホテル関連。飲食関連は総崩れ…もちろん「ぎをん齋藤」も売り上げは減少した。

「ま坂」は五輪が開催される年と重なって、盛り上がっていた旅行ブームもすべて吹き飛ばしてしまった。

この事実から社員がどう理解し、対応できるかが最重要事項である。

第二次世界大戦の後も、敗戦の衝撃と原爆投下による異常な恐怖感に打ちのめされたに違いない。

しかし朝鮮戦争がきっかけで立ち上がり、高度成長期を迎えて日本は立ち直った。

今度のコロナ禍から立ち直りは早いと見ている。

人的被害は悲しい事だが、働き盛りの世代が生き残り、富裕層の損失もあまり多くないと聞く。

その様な事から、コロナ復興財源を元に市中にお金が溢れると観ている。

なんでもお金、お金と…品が良く無くても、資本主義の日本ではやむを得ないだろう。

 

「ぎをん齋藤」はあくまでも日本の女性美を追い求めていくべきである。

人生、夢の如し

私と家内は金婚式まで、あと2年足らず。

50年という長い年月を寝食共にしてきたことになる。

いろんなことがあったが、私の記憶は骨髄移植の際、病院の医療過誤のせいかどうか確かではないが、

記憶が途切れ途切れの状態で、50年前の新婚当時となると記憶は全く不確かである。

7代目を引き継ぎ「齋藤」の名前を次世代に引き継ぎたいとの思いは確かにあったが、

父や叔父の仕事に対する姿勢に不満も強かった。

それもこれも50年という年月は長い夢を見ているような気分である。

豊臣秀吉も「浪花ことは、夢のまた夢」と言ったと言われているが、さもあろうと思われる。

一体人生て何だろう?

生まれて自我に目覚めた時から、なぜ生まれたなどと考えたことはない。

ただどう生きていけば良いのか悩む毎日が現在まで続いているだけである。

そして突然「齋藤さん」そろそろ、ご苦労様でしたと言われて、全く未知の死後の世界へ連れて行かれても困る。

ただ私の場合は「ぎをん齋藤」七代目の役割を無事果たせた満足感はある。

仕事の上ではまだまだ「古きを訪ねて新し物を作る」気力はあるが体力がついていかないだろう。

職人と世相

「歌は世につれ、世は歌に連れ」という諺がある これは歌に限らずファッションの世界、着物の世界にも通じる。

昨日、着物専門誌を眺めて感じたことは、いわゆる訪問着風の裾模様が現在少なくなって、

小紋や簡単な付け下げのものが主流として取り上げらている。

ということは消費者のニーズはそのあたりにあるということだ。

確かに女性の集まりにあまり豪華な裾模様を着ていけば仲間から浮いてしまうだろう、

と言うデリケートな感性が働く気持ちもわかる。

我が家の昔の作品写真を見ても、どれを見ても一枚の日本画のように立派な訪問着が写っているのに改めて驚かされる。

現代の着物のように流れが変わってしまえば、下絵の職人自体の必要性がなくなってしまう。

世の中に着物ファッションを生み出すのが我々の仕事だから世の中の動きをよく観察し時代の流れを読み取る事が重要である。

日本人女性の多くが着物ファンである事には違いはないが、世相に合わない着物はセンスの良い人ほど身につけない。

消費者も職人も真剣だ。

その中間にあって時代の空気を消費者に伝え作るのが私の仕事である。

ゆえに正しく伝えなければ職人は仕事をなくし消費者を着物離れをする。