ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

ブログ

摺箔の画材に悩む

順調に制作を続けてきた摺箔モチーフに悩んでいる。

最初に浮かんだ「波」と帯にした「雲取り」が、あまりうまくいったので、

まだまだ念じれば、名作を作れると安易に思っていたが、なかなかうまくいかない。

現在「金龍」を製作中だが出来栄えを案じている。

本来が室町時代末期に登場して50年ほどで消えてしまった技法だけに違った時代の柄に使うと違和感が出てしまうのであろうか、

その時代が生んだ技法はその時代のモチーフにしか合わないのだろう。

先日も金と銀だけでは無理があるから、岩絵具を併用したものを試作してみたところ金の強さに岩絵具は完全にうちまけてしまった。

最後の「土」は「極楽浄土」を目指しているが海の彼方に浄土の眩しい光が輝き、その輝きに向かって蓮の海が一直線に伸びているという構想を抱いている。

下地となるぼかし染は素晴らしい出来なのでなんとか自分で納得いく作品にしたい。

悩み続けている難題の「火」はギブアップになりそうな気配である。

一通のメール

先般の第31回武原展示会にコロナ禍とは言え 限界までの入場を賜り13日に無事終了いたしましたことを感謝もうしあげます。

社員も全員無事に帰着いたしました日に、あるお客様から一通のメールを頂戴いたしました。

社員の宮林がご贔屓を頂いてる非常に知性豊かな女性からの一通メールです。

中身は展示会をご覧になった感想を記された内容だが驚いたいたのは「友禅」と「顔料、岩絵具の使用した染物」のそれぞれの長所を

私がブログで力説していることと全く同じ趣旨の文章であった。

今回の展示会でも岩絵具を用いた きものや帯がたくさん売れたので案の定だと私は納得しているが、

消費者の眼は鋭いもので結構正確で、良い出来ものはすぐ分かるのだと思う。

返って作り手の方が全然分かってないのが現状ではないでしょうか。

特別目利きでなくても出来上がったものが特別に良い出来の時は直ぐに売れてしまう。

分業制に守られて続いてきた京都の伝統工芸もそろそろ曲がり角に差し掛かっているのに気が付いていない作り手のが多い。

メールの主は製造現場の実態はご存知ないであろうが、出来上がったものを一瞬の内に見分ける「目利き」なのである。

私の友人

私は友人の数は多いほうではいが、友人との繋がりはとても長く、幼友達は幼稚園に入る前からだから70年の付き合いがある。

もう一人は40年にはなるが、私たち家族は若い頃はぎをんの店に家族揃って暮らしていたので彼が飲みに出るたびにうちへ寄って帰る。

息子たちも彼の話をよくきかされていたので長男は彼の仕事をしたいと言い出し、私の後を継ぐのは次男ということになった。

彼の仕事は弁護士で司法試験をめざすこととなった。

当時は1年間の司法試験の合格者が500人という時代だからそう簡単には合格できない。

因みに今年は1500人を切ったと先日報道されていたので今と比べるといかに50年前の司法試験が難しいか想像できる。

その彼とお互い若い頃の無茶が祟って病人同士の点滴仲間になってしまった。

どうしても70才前後になると男は何か病気が出る、原因は単純に酒の飲み過ぎに違いない。

一方、幼友達の彼は若い頃からトライアスロンをやっていたくらいの健康優良児だから健康そのもの。

私の息子は何度も司法試験に挑戦し五度目にようやく合格したが、その知らせを聞いた時は夫婦で抱きあって嬉し泣きをした事を思い出す。

一方、友人弁護士は二人の子供を弁護士に育てたから、もう心配は何もない。