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2016年/10/26

コンピューターという言葉が身近に感じるようになったのは、私が27-28歳の頃だから今から40年程前になるだろうか。

その頃はまだ「電子計算機」と呼んでいたと記憶する。いわゆる「電卓」の大型版で加減乗除を瞬時に正確に計算するものと認識していた。

NECが発売した確か「PC-8801」というパソコンを買い込んでコンピューターとは何者か知ろうとした矢先、友人の一人が京大の電子工学科博士課程を修了したので彼から専門的過ぎる知識を取得できた。

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会社にPCを導入して最初に手掛けたのが顧客の寸法表を記憶させる作業であった。それ以前は手書きの表を使っていたので書き間違えることも時々あって、お客様からクレームを頂戴することもあったが、PCのおかげでその憂いはなくなった。それ以降、経理事務は言うに及ばず織物の紋紙や商品の画像保存までコンピューターが活躍している。


特に近年、世界中のコンピューターをつなぐインターネット機能がコンピューターの主たる機能になって久しいが、もう次のAI(人工知能)に主役の座を奪われる日が近い。

これだけ生活に深く入り込んだコンピューターと今後どう付き合っていけばいいのか?コンピューターから得られる膨大な情報をどう消化して自分の主体性を保つ事ができるか?どうやら人間は大きな化け物を作ってしまったようだ。



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2016年/10/15

染織の歴史を辿ってみると、中国と日本における発展の違いに気付く。絹糸と絹織物の原産は中国だが、9世紀の遣唐使廃止以後に日本の進む方向が変わったと考える。

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 源氏物語絵巻(12世紀)より

中国、隋、唐時代(6〜10世紀)絹織物の頂点を迎え、錦織をはじめあらゆる織物が花開いたが、染物についてこれといった品は刺繍以外見当たらない。

一方、日本が渡来系職人の指導により彼等にも劣らぬ織物を完成させたのは天平時代(8〜9世紀)であったが、遣唐使の廃止以後日本は国風化が起こり漢字から仮名文字を編み出すと同じように絹は織物から染物への利用が多くなったと私は考える。

なぜこのような違いが生じたのか?

その答えの一つが「水」ではないかと考える。中国文化の中心は中原(ちゅうげん)にあり、現在の河南省辺りを指すのだが、あの地域は良い水に乏しい地域である。染物にはふんだんな水が必要で染め上げるまでに大量の清水が必要となる。

一方織物や刺繍は糸さえ染めておけば場所があれば仕事にかかれる。この差が両国の染織文化の違いを生みだした大きな要因だという仮説である。

生憎「辻ヶ花」以前の染織品が未だ国内で確認されていないが、鎌倉時代に描かれた絵巻物には几帳に秋草のようなものが描かれたり女性の小袖に絞りの鶴のようなもの描かれていたり、有職衣装とは別に私生活で使用された素晴らしい衣裳があったはずである。

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 春日権現絵巻(14世紀)より

日本の染織史を完成させるためにも9世紀から13世紀の遺品が発見されるのが待たれる。



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2016年/10/04

ぎをん齋藤のことをよく知らない人から「おたくは祇園の芸妓、舞妓のきものを専門に作っている店ですか?」と尋ねられることがある。

確かに先代の頃は廓のお客様が多かったと記憶している。初代の上京区から祇園に移転してきたのもその筋の顧客を獲得する為だったかもしれない。

現在店のある新門前通は京舞「井上八千代」氏のお膝元、先代家元のころから舞の衣裳などのご下命を頂いていたのも事実、そのご縁で祇園甲部のお客様が増えたのであろうと推測する。
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私が7代目を継いだ頃は廓好みのきものを積極的に作り出し地域に密着した経営を目指した。しかし古裂を研究していくうちに、自分が本当に作りたいのは江戸後期の美ではなく、桃山時代の小袖や同時代にインドに注文して作らせた更紗など16世紀の美に惹かれるようになった。

その頃からぎをん齋藤のテイストは変わっていったと自認する。消費者のニーズに合わせて物を作るのは商売上常識かもしれないが、人間、歳を重ねると「ワガママ」が優先しまうのか自分の本質が露呈するのか、気の向くものしか作れなくなる。

徐々に廓とは離れつつあるのも致し方ないと思っている。
 



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2016年/09/30

この数年力を入れてきた摺箔シリーズ帯の新作にチャレンジし帯作りの集大成にしたい。

そもそも摺箔シリーズは私が敬愛する故「徳田義三」の発想によりできたものだと思っている。箔を織り込む、いわゆる金襴織りは中国、唐時代から始まる1400年の歴史がある技法である。
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紙に金箔や銀箔を膠で貼り付け短冊状に細く切ったもの横糸として織り込ませて紋様を織り出す織物は「金襴、緞子」と歌にも登場する高級織物の代表格である。用途は僧侶の袈裟がほとんどだが衣類にも使用され、現在でも袈裟や仏具として金襴を織る工芸は西陣織の主力に変わりはない。

徳田義三は金襴を複数の箔を織り込み更に織りあがったものに加色するという前衛的な手法を編み出した20世紀最大の帯クリエーターである。


現在ぎをん齋藤で展開中の摺箔帯は徳田義三の薫陶を受けたK氏の作品を復刻したもので、それらから徳田の手法を学び新たな作品の参考としたいと考えている。さてどんなものが出来上がるか「乞うご期待」。



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2016年/09/20

虫の音が大きくなると秋の展示会が近いと感じさせられる。

今年の会は9月29日から10月5日までの1週間を予定しているのでこの時期は物作りと店の修繕で気忙しい。

展示会は東京でもそうだが以前と比べると確実に来場者が多くなった。京都での会は数年前から3日間であったのを1週間に拡大したのも、お客様が重なって狭い会場に人と商品が入り乱れることを避けるためである。

京都で年に二度、全商品を飾るのだから一人でも多くの人に見てもらいたいという願いと、普段「敷居が高い」と言われる店構えを気にせずに気軽に京町家をお見せするいい機会なればと考えている。

店舗は築120年程の典型的京町家で、最近さすがにあっちこっちの傷みが目につくようになった。毎年展示会を機会に修繕するのが町家保善の意味でも意義があり、特に町内は歴史的保存地区に指定されているので、修繕するのも京都市に届出する仕組みになっている。

店は現在仕事場としてのみ使用しているが、昭和初期には住み込みの従業員が3名と家族4名が生活していたと父から聞かされたときは驚いたことを思い出す。

さて今年の展示会テーマ商品は私が力を入れている「摺箔帯」と「ぼかし染め」である。どちらも腕利きの職人達の技を「ぎをん齋藤」のテイストでご覧に入れる。


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