ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

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続「量から質へ」

上記の滑稽さの裏に何があったかと考えると「絹は高価な物」という錯覚があったように思える。

シルクロード交易で中国から輸入される生糸が金(きん)の重さと等価であった時代は遥か昔の話で、昭和も中頃を過ぎるときものの財産価値は無いに等しく、有ると錯覚していたきらいがある。


さらに正式な場所ではきものを着用するというコンセンサスが一般的であったので、嫁入り衣裳は財産分けの意味もあって花嫁の実家がいかに裕福かを表す象徴とされていた。

そういう風潮に誰も疑問を抱かず呉服屋の言いなりに買っていたのだから呉服屋は儲かって当たり前、作れば売れるという夢のような時代が到来し長者番付の筆頭に西陣織の社長が名前を連ねるなど信じられない時代が現出した。

京都ばかりでは無く地方都市へ行くと商店街の中心に位置する場所は間口の広い呉服屋が占めていることが多いのも当時の名残と言えよう。

それに比べると現在の呉服業界は栄華の名残りさえ感じられない疲弊振りが目につく。量が売れないのは当たり前だが質の高いものでも不当に低い評価に喘いでいる職人たちも多い。

せめて良いものだけは残したい。

稲葉賀恵さんの事

突然友人から一枚の写メが来た。

よく見ると友人の隣に立っている女性は稲葉賀恵さんではないか!。
彼と稲葉さんとは面識はないはずで、後のメールによるとパーティーで一緒だったので私を肴に話が弾んだらしい。

稲葉さんとはかれこれ30年のお付き合いである。彼女もモデルからデザイナーとして大きく飛躍された頃であろうか、洋服だけではなくきものに興味を持ちはじめ雑誌社の女性を介して私のところへ来られたのが最初の出会いだった。

その後彼女のためにきものを作ってきたが、私にとっては最高の女性である。まず私の感性と彼女の感性とピッタリ共鳴する滅多にお目にかかれない人であるからだ。同時に顔立ちといい背丈といい着映えの良さが私のきものを良く見せてくれる。

求人

現在、齋藤織物では工場(アトリエと呼んでいる)の責任者候補生を探している。

最も相応しいのは織物のノウハウを知る紋屋(模様を織り出すためのパンチカードを作る職業)の若手が理想的だと思っている。なぜなら紋屋と織屋が一体となって各々の技術を伝承していくのがベストだと信じているからである。

分業制で成り立ってきた染織業界は、生産数が多い時代はメリットがあったが、これほど数が減ってくると統合していかなければ立ち行かなくなってしまう。大手の銀行でも財閥の垣根を超えて統合しているのに染織業界が未だに分業制に固執しているのは遅れているとしか言いようがない。

少なくとも昭和40年代のような黄金期が再び訪れることはまず無いのは明白なのに、何人かに声をかけてみても芳しい答えは得られない。

個々の利益のみを追い続けるのではなく、社会的責任に重きを置き技術を持ち寄って伝承を考える時期に入っている。複葉式多色織を真骨頂とする西陣織を絶やさぬよう守り続けなければ、一旦途切れてしまえば再興は難しい。