ぎをん齋藤
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意を決して上京する

ほとんど会社以外は外出しない昨今であるが、意を決して上京し「杉本文楽」を鑑賞した。

その理由は例の「金銀摺箔波濤図屏風」が舞台で初めて披露されるからである。

以前からその予定を聞かされていたので、何としても行かなければと数日前から緊張しながら午後の新幹線で「渋谷」に向かった。

目的の場所は「旧渋谷公会堂」、名前を「LINE  CUBE 渋谷」と変え、リニューアルされた、その「こけら落とし」に杉本文楽をやることになったらしい。

公演中の撮影は禁じられていたがNHKのカメラが入っていたので近いうちに放映されるであろう。

前から二列目の中央の席を杉本さんが用意してくれたので、いわゆる相撲でいえば「砂かぶり」とも言えるロイヤルシートは太夫の激しい息遣いが伝わり迫力があった。

演目は「近松門左衛門作」の「大蛇退治」で摺箔の大波が大蛇のように見えるから舞台装置はバッチリだったが残念ながら、ちょっと屏風の幅が狭かった。

二曲一双の屏風だが6人も演者が居並ぶなら二曲二双で制作すれば良かったと後悔。

後半の演目は観ないでホテルに直行と慌ただしい一日だったが何か責任を果たせような満足感が心に満ちる。

摺箔の近況

しばらく摺箔のことを書かなかったので制作が停滞していると懸念されるといけないと思い、近況を報告してみることにした。

現在のところ着実に深化し、金銀摺箔の持ち味が発揮された作品が出来つつある。

今までに見たことのない物だがクラシックだ」と

柳さん」に言わしめた「金銀摺箔波濤図屏風」は

小田原文化財団」(杉本博司氏が設立した財団)に旅立って行った。

 

 

 

現在、作品番号3 「金銀摺箔日月屏風」を制作中で、本年度中に完成させたいと思っている。

続いて「金銀摺箔雲龍図屏風」も下絵の段階まで仕上がったので、生地が用意できたら早速掛かりたいと思っている。

この「雲龍図」は「建仁寺」に伝わる墨絵を摺箔でアレンジした作品で水墨とは違った生命力を龍に与えることができそうだ。

同時に別の職人による「摺絵」の制作も始めており、試作として光琳の「杜若」を手本に「八ッ橋」染帯を試作中である。

これは摺箔摺絵を組み合わせた初の試みで成功すれば力のある帯になると確信している。

何度見ても摺箔はハッキリとした個性と「」が現れる技法だと感心する。

その原因は純金、純銀の持つ、素材としてのゴージャスさと桃山時代由来の絵柄である。

この技法と巡り合った私は幸運であったが後々まで更なる深化で日本の染織文化の発揚に貢献する事を願っている。

それでは今まで未公開であった「金銀波濤図屏風」の全開図を御覧に入れる、呉服屋がアーティストになった記念写真。(笑)

「室町」という時代

今私が一番興味あるのは室町時代である。

地味な印象があるこの時代は禅宗、茶道、能の芽吹いた時代だから渋い時代だと言える。

また現代の日本社会の原型が出来上がったのも、この時代だと言える。

 

室町幕府を開いたのは「足利尊氏」、この人は誰でも知っているビッグネームだが、3代将軍、足利義満以降の幕府運営は中央集権が浸透せず、地方の豪族の勝手な動きを抑えられずに戦国時代へとなだれ込んでゆく。

全ての階層に渡って「下克上」つまり武器を持って戦う時代に突入したと言える。

力の無い人々は現世の苦しみを来世の希望に置き換えて生活する様でもあったに違いない。

 

またこの時代、ほんの些細ないざこざ(例えば、頭を下げる下げない、笑った笑わない、等)で民衆或いは武士をも巻き込む大騒動に発展することが日常茶飯事だった(「太平記絵巻」にその様子が描かれている。)といわれ国民が熱く燃えた時代であったらしい。

「禅宗」が中国から新興宗教としてもたらされ、武士階級を中心に他力を願わず自らを救済するという厳しい戒律を受け入れ、そこから茶道や幽玄の世界をテーマにした「能」が確立した。

まさに中世から近世へ生まれ変わる「産みの苦しみ」の時代が200年以上続いた。

 

そんな過酷な日常の時代で、あの華麗で繊細な「辻ヶ花」が生まれたのは不思議とも思えるが、あのほとばしるような躍動感は時代が産んだ産物に違いない。

それに比べると現代はどうだろう、お子ちゃまの時代「かわいい!」の一言で価値が決まる平和で幼稚な時代である。

それがいけないというわけでは無く、ありがたい時代なのだが作られたものを見比べると情けないくらい弱々しい。

古い物の中に真美を求め愛でる眼こそ古美術を愛する心である。