ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

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「萬世如意」

古い仏教の墓や衣服の銘に刻使われた言葉である。意味は「全て神の御心のままに」という事だろうか。四文字熟語としても、神聖で美しい響きを持っている。

 

(後漢時代銘「萬世如意」袍)

 

私も長年、この言葉が頭の隅にあって観世音菩薩に手を合わせる時には口の中で唱える呪文のように使ってきた。しかし最近、この言葉の本当の意味が分かり始めている。もしかしたら「世の中すべてなるようにしかならん」という意味ではないかと思い始めている。願い事が叶うよう、手を合わせ大地にひれ伏そうが結果は「なるようにしかならん」と弱い人間の願いもバッサリと切り捨てる放擲を感じる。

 

ただ分からないのは、事実として私の首に突如出現した温かい生卵のような感触で正体不明の物が首筋から胃にゆっくりと流れた記憶は鮮明である。あれは一体なんだったのだろう?解らない!きっと誰にも解らない事柄かもしれない。

 

人間の願いはたわいも無い願望に過ぎないのか、それとも願いを受け止めて、応え、アクションを起こしうるパワーが天上界に存在するのか。人間が知り得る知識など形而下のものであっても、僅かなものだろうし、まして形而上の事など全く無知な生き物だと思う。

第69回京都展を終えて

9月30日の初日は台風24号の直撃を受けて午後2時には閉場という最悪のスタートとなり先が案じられたが、日を増すごとに天気も回復して無事終了できた。

 

 

今回の69回は来年70周年展示会を念頭に置いた企画で、会場の照明や設備の点検を行うことができ、古い京町家の保全に寄与している。ただ来場者が思ったほど伸びなかったのが反省点である。

 

重なる台風や水害が災いしたのは間違いなさそうだが、年2回の京都展の眼目は普段ショウウィンドウの無い「ぎをん齋藤」の京町家と作品を全て、誰でも自由にご覧頂けるように「敷居」を低くした狙いがある。

 

買う買わないは別として、通りがかりの人であろうと観光客であろうと来場いただき、「ぎをん齋藤」のテイストと値段を観ていただきたいと思う。それほど品質と価格には絶対的な自信がある。しかし消費者から見れば、無理やり買わされるのではという心配があるに違いない。あえて申せば「ぎをん齋藤」は押し売りは絶対しない。説明を求められるまで、話しかけないよう社員を教育している。

 

私が1歳の時から始まった京都展も来年は70周年の節目、80周年には私が現役でいられるとは思えないので来年が最後の周年展示会になるであろう。

底知れぬ「黄金」の魅力 と染織への活用

最近、「黄金」の色々な可能性を試す作品を制作しているが、日を増すごとにその魅力に引き込まれていると感じている。今回の挑戦は「黄金の地金」を絹の質感を損なわずに表現したいとの思いで試みたが予想以上の出来栄えに感動している。

 

 

勿論、金箔や金泥は本金を用いなければ「黄金」の魅力を語れないのでコスト高になるのはやむを得ないが、物作りに妥協しないのは私の流儀である。

 

本歌は中国明時代に作られた印金「二重蔓牡丹唐草」だが最高級品を目指したのであろうか「黄金」の厚みが半端ではない。これを手本に作らせたが匠の苦心で見事に「黄金の地金」を表現できた。

 

前述の「摺箔」と今回の「地金」の組み合わせで 壮麗な「黄金」の衣装を作ることが可能だが「誰が」「何処で 」身に纏えばこのきものが生きるのか想像できないが、先ずは形にしてみるのが一番だと思っている。