ぎをん齋藤
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ブログ

齋藤貞一郎
『ぎをん齋藤』の主人

齋藤貞一郎

ぎをん齋藤のきものや帯のお品物をご紹介する中で、
物づくりのこだわりを綴っております。
定番商品の御所解をはじめ、齋藤織物の袋帯をご紹介したり、
また、きものと帯のコーディネートを更新して参ります。

杉本博司氏の「江の浦測候所」を訪ねる

かねて念願であった「江の浦測候所」をようやく訪ねることができた。

事前に杉本さんに連絡を入れておいたので、現地でスタッフ女性にお迎えいただき、説明を受ける特別待遇に浴した。今回の訪問先は、杉本さんの長年のテーマであった、夏至の日に海から上る初日出に超自然な何かが潜んでいる、その実像を見定めたいとの願いから発想された建物だと聞いていた。

確かにそれを目的とした装置は存在したが、それよりも、いままで同氏が写真という2次元での世界でしか表現できなかったものを、3次元の世界として現出させた一個の作品という印象を得た。特に古石にこだわり、あちこち無造作に置かれた古石は、イギリスのストーンヘンジを想わせる。

骨董趣味も、老成すると石の肌に惚れるという。

確かに若い頃は、陶芸や書画などに目を向けるが、やがて釜の鉄肌に惹かれ、最後が石肌で終わるという。京都の北村美術館の創立者、北村勤次郎氏も晩年は石の名品を蒐集され、居住スペースの四君子苑は、日本で有数の名石が保有されている。杉本さんがそこまで老成されたのであれば私はまだまだ金、銀の世界で生々しく「ギンギラギン」で対抗しようと思っている。

金彩師

印金屋さんと呼ばれる、染物制作の一工程である。彼を知ったのは一昨年のことである。

工芸展に出品していたSさんの作品に一目惚れして、早速仕事の依頼に、彼の自宅兼工房を探し当て赴いた。彼の技術、特に極細な線を緻密に施す技は、正に一級品である。しかも絵心があって細かな指示を出さなくても、自由に細い筒を使って金の線を描き出せるのである。

 

 

金彩の仕事は生地に金、銀箔を塗布する作業だが、接着材によって硬くなり、絹のしなやかさが消えてしまうことがある。そこで匠は接着剤の選択と混合を試し、最良のものを調合する。

 

その作業も大切で必要なだが、最も肝心なのはデリカシーである。細かな金粉を蒔く作業で、どの程度蒔けば私の意に沿えるかを、繊細な感性で金箔の密度を決めていく。これは技術ではなく、生まれ持った先天的資質の問題である。日本人の特質である、繊細な差異を感じ取れる感性を生まれ持っているかどうかの問題である。

掲載した帯は、彼に依頼した最新作で「流水に雲錦模様」。名古屋帯の一部だが、彼の特質が見事に発揮された作だと自賛している。

美学と宗教

一見何の関係性のない言葉だが、よく考えると類似点を見出すことが出来る。

江戸時代にも宗門争いと言って、学者や僧侶が、いかに自分の信じる宗派が相手より優れているかを議論することがなされてきたが結局、優劣の決着をみることはなかった。

同く美学においても、狩野永徳と長谷川等伯のいずれが勝るかの論議も盛んであった。(画像上のものが狩野永徳 四季花鳥図右隻、下のものが長谷川等伯 松林図左隻)

 

自分が信じる美が、相手の主張するものより素晴らしいと論議してみても、どこまでいっても平行線で終わるのは、美人コンテストで優勝者を決めるのとおなじで「好み」の問題である。

 

宗教は、手段は違っても救いを求める弱い人間を救済することに目的があって、優劣を競うものではない。まして宗派間の争いで、血が流されるのは本末転倒も甚だしい。ただ信徒や僧侶は、自分の信じる宗教を唯一無二だと信じることは必要で、それでなければ布教活動は上手くいかない。

美の世界も、我が社で働く者は、私が作るものを唯一無二のものとして信じてもらわなければ、お客様に自信を持って勧めることは出来ない。