ぎをん齋藤
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齊藤康二

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京都東山の祇園一角に店を構えて170年余り、
呉服の専門店として自社で制作した独自の
染物・織物をこの弊店で販売しています。
ぎをん齋藤の日常からこだわりの”もの作り”まで、
弊社の魅力を余すことなくお伝えしていきます。
皆様からのお問い合わせ、ご質問などお待ちしております。
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TEL:075-561-1207
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カルティエと京都、伝説と革新、受け継がれる心

先日、京セラ美術館で「カルティエと京都、伝統と革新、受け継がれる心」

というテーマで、トークセッション・ジュエリーの展覧会が行われていたので参加した。

1900年初頭から続く、パリを拠点としたカルティエの伝統と格式、また現在の

ジュエリー界を牽引しているその魅力と原動力をカルティエ・プレジデント、

チーフエグゼクティブオフィサー宮地純氏は自信と確信を持って語られていた。

その中、ほんの一部だが伝統を受け継ぐために必要な三つの要素が特に印象に残った。

1.受け継がれる伝統の美学・哲学をしっかり後世に伝えていく

2.革新する挑戦と経済力

3.それに携わる伝統技術の継承と後継者の育成

など、、、それらは伝統や文化を守り継承していく上で常に我々も

意識している重要な事柄である。

1時間程度のトークセッションであったが、カルティエの歴史と革新には

大いに感銘を受けた内容であった。

 

最後に偶然だが出入り口でその人、宮地純氏を見つけ少し言葉を交わし、

名刺交換ができた。

なんと幸運なことだろう。思い切って行ってよかった!

その時お話するのを忘れていたが、「シジエム サンス パル カルティエ」の

パーティー会場で、あるVIPのお客様がお召になられた弊店の袋帯をご覧になり、

これは刺繍ですか?(桃の花に山鳥)と尋ねられたという。

覚えておられるかどうか、定かではないが我々が誇る京都の伝統芸術、

京繍・きょうぬい(刺繍)に着目されたのはうれしい限りである。

そしてどう感じられたかは、また機会があればその感性を伺いたいと思っている。

 

創作意欲

先日、東京のある古美術商を訪れた際、店主の計らいで数々のすばらしい軸を拝見できた。

「本物」を見ると勉強になるといつも貴重な品々を快く拝見させてくれるS氏の

ご配慮には、心から感謝の気持ちでいっぱいである。

 

今回は楽しみにしていた尾形光琳の燕図と、その流れを汲む深江蘆舟(ロシュ)の作品。

まず最初に現れたのは蘆舟の軸、深江蘆舟(1699年~)は江戸中期に活躍した琳派の

中堅画家、駆け出しの頃は光琳に師事したという経歴だが、画風は光琳のような

ダイナミックでモダンな感覚ではなく、むしろ素朴で約100年前の宗達一派に

近いと言われている画家である。

上下立派な古裂で軸装された上方から、躍動ある湾曲した枝ぶりが品よく垂れ下がり、

何百年も前のものとは思えないほど色鮮やかな”朱色”で表現された紅葉が、

絶妙な濃淡ぼかしで枝先に散りばめられている。

そしてその脇には真っ白な装束に烏帽子という出で立ちの人物が座り込んで

足を放り投げ、満足そうに眺めている何とも優美な軸である。

そんな蘆舟の作品をこのタイミングで見せて下さったS氏の粋な計らいにも感動した。

そしていよいよ尾形光琳燕図の登場である。

こちらは先程のよりひとまわり小ぶりで正方形に近い寸法だが、生命の一瞬を捉えたその

迫力はまさに光琳の世界、画の力強さは特別である。

蘆舟が”静”なら光琳は”動”、その画風はやはり大胆かつ繊細な表現で、

対の燕を表裏(白黒)みごとに描き上げている。

また、その下には面相筆による絶妙な線で描き起こされた波があり、対峙する燕の緊張感を

より際立たせ、それを躍動感ある動きによって左から右に流しているところはさすがである。

些かそれらの魅力を言葉で表すのは私の語力では限界があるが、頭の中は作り手として

創作意欲でいっぱいであり、わくわくしている。

 

 

 

 

 

追憶

今また改めて七代目店主 齊藤貞一郎のブログを読み返している。

きっかけはいくつかあるが、店の商品棚に平然と並べてある彼の作品を見ると

その裏にある作り手の思いが蘇り、売れていくたび尊ささえ感じるからである。

尊さというと大げさに聞こえるが、当時、一品一品”完璧”に作り上げるため毎日職人と

対峙する彼の姿を視てきた者はたぶん理解してくれると思う。

所詮、息子である私が言うと捉え方によっては今でいう”キモイ”と思う方も

いるかもしれない。笑

しかし私と父はこの会社に就職した時から上司と部下という関係になり、

社内においても私的感情は一切切り捨て、お互い冷然としていた。

それが良かったのか今もその関係は続き、父を客観的に観れるのもそのせいだと思う。

今、彼のブログをそういう視点で読み返している。

父の得意とする知的な文脈でつらつらと書かれた作家としての意見やもの作りの悩み、

かたや一変、世情に対し厳しく論ずるものもあれば個人的な感情で家族や知人の

たわいもない話もある。

それらはすべて私にとって味わい深い教科書であり、これから目指すところである。

そんな父は今も上から厳しい目で視ているに違いない。

<摺箔波>