ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

ブログ

齊藤康二

齊藤康二

  • 月を選択

京都東山の祇園一角に店を構えて170年余り、
呉服の専門店として自社で制作した独自の
染物・織物をこの弊店で販売しています。
ぎをん齋藤の日常からこだわりの”もの作り”まで、
弊社の魅力を余すことなくお伝えしていきます。
皆様からのお問い合わせ、ご質問などお待ちしております。
◆お問い合わせ
ぎをん齋藤 齊藤康二
TEL:075-561-1207
(Mail) gion.saitokoji0517@gmail.com

AIと感性の狭間

以前からAI(人工知能)の話題は大きく取り上げられているが、昨今その開発スピードには目覚ましいものがある。

AIはよく言われるように自ら性能を向上させることができるいわゆる自己学習能力型で、

その主な特徴は翻訳や推論、問題解決など、知的処理を人間に代わって行う人工的な知能のことであり、

この前もニュースで騒がれていたが、身近なとこでは最近話題となっている「チャットGPT」がそのひとつ。

実は、ある知人からこれが話題になる前にこのチャットを教えていただだいていたので、

いろいろ試しに検索してみたがとても私の手に負える代物ではないことはわかった。

慣れないせいもあるがその情報量とスピードは異次元で、一つの検索から次々と機械的に繰り広げられる

その内容は表現的には冷めた文章だが、目で追うだけでもたいへんなくらい脈々と書き込まれていく。

ネット社会が当たり前となった現代において、その情報処理能力が追い付いていないとされるこの世界に、

また新しく今度はAIというとてつもない未知なる人工知能が導入され、すべてをコントロールされると想像すると

次はどんな世界が出来上がり、我々人間はどう生きていくのだろうか、わくわくするが、本当に恐怖も感じる。

一部の技術者はAIに消極的な意見を持っており、その開発を止めるべきであると言っているのもよくわかる。

しかし、一旦動き出したこの大きな流れは止まることはないだろう。

何故ならその魅力のほうが恐怖より優っているからで、人類は何百年も前からそうやって

犠牲を伴って進化してきたといっても過言ではない。

その犠牲となる兆候はすでに始まっており、例として「AIに奪われる仕事」がそれに当てはまるのではないだろうか。

これからの世界はあらゆるものが機械化され、仕事場から人が消えていくことになるかもしれない。

そんな環境になりつつある世界を背景に考えると、人が感性をもとに0(ゼロ)から作り出すもの、

また人にしかできない表現や思考、創造というものはAIが進化すればするほど失われてはいけないもの、

表裏一体として同じように残していかなければならないものである。

私の仕事は0(ゼロ)からものを生み出すこと、感性をもとに想像しそれを具現化していくことであり、

けしてコンピュータのように1+1=2ではない、言い換えれば1+1=無限であり数値化できない、

機械化されない世界であると確信している。

先日も今手掛けている織名古屋帯菊唐草文の刺繍が出来上がったので職人のところまでそれを見にいったが、

その質感や配色はAIのような1+1では到底真似できないものと自信がある。

それは感性と感性がぶつかったところ、その狭間で出来上がった産物、けして計算から導き出されたような

無機質ではなく、そこには偶然性と必然的なものから成り立つ無限の組み合わせがあり、

だからこそ終わりのない楽しみも感じ取ることができるのである。

:朱地織名古屋帯菊唐草文

 

 

 

完成!

待望の復刻版が完成した!

第一弾として染出したのは伝統色の中でも当時の面影を彷彿とさせる色調、

いわゆる御所解らしい華やかで重みのある色目を選び、「唐紅花色(からくれないいろ)」に決めた。

以前にも話したように、御所解文様は地色を染めた後、生地白が柄の構成となるので地色と柄の

コントラストがとても重要であり、その色調の加減で柄全体の良し悪しが決まるといってもいい。

例に挙げると、現在の御所解染帯でたまに色の薄いパステル調のような地色で染出すことがある。

今の言葉で表現すれば”かわいい色”である。

それが現代の色といえばそうなのかもしれないし、また人の好みといえばそれが間違いでもない、

「色」とはその時代と密接な関わりがあり、感性の移り変わりを分かりやすく表現しているものであると理解している。

ただ私の本心からすると文様全体が際立たず、御所解本来の良さを表現しきれていない、と感じることもある。

そこで今回は第一作目として伝統的な色を主体に当時の印象を損なわない色目として唐紅花色を選び、

地色、柄行、刺繍、摺疋田、それぞれすべてがその時代を象徴する素材である、ということを第一に考え制作した。

その結果、細かな修正箇所はあるものの、出来栄えは見事にあの写真の御所解文様そのもの、満足いくものとなった。

ぜひ、この復刻版を皆様も実際にご覧いただいて、その魅力を肌で感じていただきたい。

*復刻版

 

*現行

 

 

 

 

ぎをん齋藤の御所解染帯、半世紀ぶりの復刻続き

先日、ようやく「御所解復刻版」の地色が染め上がり、これから墨入れ、摺疋田、刺繍に取り掛かる。

これまでの作業工程は約50年前の御所解文様の輪郭から細部まですべてを正確に紙に写し取り、

その魅力を生地(縮緬)に最大限復活させることに集中してきた。

結果、地色が染まっただけの状態でも素晴らしい出来栄えとなり、そして先々代の匂いが漂う古き良き

祇園の御所解という風格がそのまま復活したことにもとても満足している。

この地色が染まり全体の輪郭が浮き彫りとなった状態を我々は”白抜き”と言っているが、ここがまさに大事な部分、

人間でいう骨格に値し、この基礎の部分が良くないといくら肉や筋肉を付けたとしても最終的に上手くいかない、

ということは今までの知識と経験から学んでいるのでそれは直感で判断できる。

ここまで約70%の完成ということだろうか、このあとも全てにおいて慎重に進めていくつもりである。

さて、なぜこのタイミングでそれを復活させるのか、そこのところを一部説明しておきたい。

最大の理由は先代から引き継ぎ、改めて御所解のルーツを見直していたことがきっかけである。

それは先々代の時代、”双葉会”という会名で展示会を開催していた時の写真の

一枚に堂々とその当時の御所解染帯が飾られていたのを見つけた。

それはどことなく懐かしさがあり、すべての文様が今より細かく集約され、

繊細に構成された当時「齊藤染物店」の御所解文様であった。

華やかさがあり、大らかで細密、草花が咲き乱れ御所解本来の形といって良いその姿、

ようやく4月に桜と共にお披露目となる。