ぎをん齋藤
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豊臣秀吉をめぐる不思議な縁

先日ある桃山時代の唐織裂を手に入れた。2m x 2mの長大な裂は竿通しが付けられ「風穴」(風を通す開口)が施された奇妙な裂である。

 

 

まず驚かされるのは、その色彩である。500年は確実に経過しているにもかかわらず、ご覧の通りほぼ完璧な色彩が残存している。

 

詳しく見ると能衣装として職製されたらしいが何らかの理由で幕に仕立て直されたようだ。

 

この裂の出所がまた面白い。旧蔵は三条大橋のたもとに桃山時代にはすでに存在していた「M針屋」で豊臣秀吉が、まだ木下藤吉郎と呼ばれた時代に針売りとして全国を行脚していたという伝承がある。

 

彼は行商の過程で得た戦国大名達の情報から仕えるべき武将を探し求めていたという。その結果、織田信長に白羽の矢を立て、信長の草履取りから太閤にまで登りつめた。

 

その針屋から今回出たのが「菊桐模様唐織」(太閤秀吉を象徴する模様で高台寺文様と呼ばれている。)だから余計に因縁ありそうで興味が湧く。何故?どう言う経緯で?この一枚の異様な唐織が針屋に伝来したのか?

 

裏地に雨汚れの痕があり、もしかして醍醐の花見の折、御座所に掛けられた幕ではないかと思っている。

 

 

 

 

私の杉本博司論

今年の文化功労者賞に中村吉右衛門丈と杉本博司氏の知人2人が受賞されることになり大いに喜ばしいことである。

 

杉本さんは念願の美術館(?)もしくは隠居場(?)を10月にオープンされたようで重ね重ねのお目出度である。

 

私はテッキリ「杉本博司美術館」という名称かと思いきや「江乃浦測候所」という名称らしい。実に杉本さんらしいシャレの効いた装飾のないネーミングに人柄が感じられる。

 

 

彼は探究心の強い人だ。もっともアーティストと呼ばれる仕事をしている人から探究心を除けば何も残らないだろうが、彼は「人間はどこから来たのか?」「人間とは何者か」?という大きな命題の答えを求め続ける求道者である。

 

目では見えない遥か彼方に潜む真理を求め、写真や建築、舞台演出という手段を駆使して具現化を試み続けている。

 

水平線のさらに先を見るための施設「江乃浦測候所」の完成は彼にとって終着点ではなく、更なる高みを目指して多分、死を迎えるまで求め続ける通過点の一つであろう。

 

追求のために全ての資産を投じ「江乃浦測候所」を完成させた実現力を兼備した杉本さんに敬愛する弟子としてエールを贈りたい。

 

 

国宝展を観る

現在、京都国立博物館で開催されている「国宝展」を観る。

 

 

お目当ては7世紀「天寿国縫帳」である。生地に「蓮」が使われているので一度、本歌を拝見したいと開門と同時に入館すべく早朝から出かけたが、あにはからんや、既に2〜300人の行列ができている。

 

入り口付近は混雑して列品に近づくのは容易ではなかったが、染織のブースは人気がないとみえて閑散としている。

 

早速お目当の「天寿国縫帳」を観る。実物は予想以上に傷みが酷く、色が残っている部分は鎌倉時代の補作と知ってガッカリ。

 

しかしそれ以外に大きな収穫があった、法隆寺所蔵の「四騎獅子狩文錦」である。

 

 

染織品にあって国宝中第一級品、6世紀「日出づる処の天子、書を日没する 処の天子に致す、恙なきや」と聖徳太子が大見得を切って派遣した遣隋使が時の皇帝 「煬帝」から下賜されたものと言われている。

 

 

一説には聖徳太子の軍旗とも言われ、法隆寺再興の前には夢殿に安置されていた「救世観音」にもたれかかるように巻かれて立て掛けられていたという。

 

 

6世紀にあれ程精密な錦織を完成させた漢民族の技術は目を見張るものがあるが、今の中国人と同じ民族とは思えない。