ぎをん齋藤
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展覧会レセプション

6月18日、細見美術館に於いて「布の道標」展覧会、オープニングレセプションが開かれた。

私は相変わらず声が不調でスピーチは心配だったが、会の趣旨からして、私が一言挨拶しないわけにはいかないと意を決して御礼を述べた。

当日は快晴に恵まれ、招待客100名ばかりの前で5分ほどのスピーチを行なった。

その内容は私がコレクションを始めた動機や近所に裂を扱う古美術商が偶然、多いことなど歴史的に新門前通りは古裂が集まる特殊な因縁などを紹介した。

私のスピーチに続き乾杯に入り、ご発声は冷泉家 現当主 冷泉為人氏がされた。いかにも古都京都らしい人選と納得をする。

作品展示は裂がむき出しのものが多く、裂の表情が生々しく迫力が増したように見える。

学芸員から裂の展覧会は珍しく、来客の顔ぶれがいつもと違うと聞かされ、裂を土地柄のせいか、好きな人が多くオープンしてまだ数日だが出足は好調とも報告を受けた。

古裂蒐集家

いよいよ17日から細見美術館に於ける展観が間近に迫った。

考えるに古裂蒐集家の数は非常に少ない。あの人気鑑定番組にも古裂が登場したのは、私の知る限り二度だけのことである。一度目は中国清朝の「龍袍」、皇帝の衣装である。二度目はサラサが数点の二回のみである。

その理由を推測すると衣裳は完全な形で残っているのは江戸中期以降のものが殆どで、それ以前のものは裂になった状態が多く、額にでも入っていなければゴミと間違えられてしまう。

一般に古美術蒐集家は男性が多く、きものや裂に興味を持たないのが普通である。一方、女性は全般的に古い物にお金を使う程の興味は無さそうである。

加えて昨今、呉服業界の不振が続き私のように趣味と実益を兼ね備えた蒐集家が減少しているのも染織品の相場を下げる原因となっている。

今回のイベントで染織品の素晴らしさが認識され、鑑賞美術品として再評価されるきっかけになれば幸いである。

そういえば祖父の時代、同じ新門前通に「野村正治郎」というコレクターが「誰が袖屏風」を考案し、多くの古裂を工芸作品にまで仕立て上げた。どうも新門前通りは古裂が集まる因縁がありそうだ。

古渡サラサ「苺手」

久しぶりに美しい裂を手に入れた。「苺手」と呼ばれる江戸初期に渡来した古渡サラサである。

生地は当然、木綿だが質が別格に良い。絹かと思うほどのしなやかさはインドのコロマンデル辺りに日本から注文したと思われる。

サラサでも日本に輸出された木綿は東南アジアやインド国内向けに作られたものと比べると細い木綿と打ち込みのしっかりしたものが使用されている。デリケートな違いを大切にする日本人らしい注文と言える。

本品は茶道の袱紗に仕立てられ千家十職「土田友湖」の箱書が添えられている。藍地に深紅で染められた紋様は丁寧な仕事が施され、以前に見たどの苺手よりも精緻さが際立っている。

黒楽茶碗をこの袱紗に包んで濃茶一服いただけば色の組み合わせを想像しただけで素晴らしい美の世界が現出する。