ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

女将思い出語り

人は石垣

五月を待たずに河岸堤にはたっぷりと葉をつけた柳の木が、初夏を思わせる風にゆらりゆらりと心地良さそうに枝を揺らしています。

そんな中でふと、振り返ると、町並みの家々の入口扉に冷たく悲しそうに貼り紙されて「休業」や「廃業」のお報せです。その貼り紙も黄色く変色している所を見れば、もう随分前から貼られているのでしょう。

時短営業、ロックダウンの繰り返しで残念ながら経営が行き詰まり止めざるを得ない事態に至ったのでしょう。それまでは日常の生活の中で人々との絆、語らいの中で生き甲斐を感じ生活を送っていた経営者が、共に働いていた従業員を解雇せざるを得ない辛い決断をした心情を思うと、実に悲劇な結論と痛感します。

店舗、会社は勿論の事、社会の中の集団は全て頂点を支える為に、その下に多くの人々が力を合わせて成り立っています。

私は出身が山梨県甲府…つまり戦国武将・武田信玄の甲州です。信玄の名言に「人は石垣、人は城なり…」という言葉があり、いつの世も強い人材こそが城を支える石垣であると理解しています。

形の整った大きな石ばかりが沢山あっても、その石の間に差し込む小さな形の悪い石も必要で、大小が相互に支え合ってこそガッチリとした石垣が出来て、その上に城が築けるという事ですが、やはり今のこの世の中、財務的にも困窮状態となる会社が多いでしょうが、何とかこの大小の石の繋がりによって時間をかけて積み上げて来た石垣だけは守り続けて欲しいものです。

この石垣は会社だけでなく家庭という集団、友人関係等、人と人とが繋がった時に徐々に石垣が積まれて行きますが、一緒に積み上げて行く努力と楽しさを想うと、実に幸せを感じます。

まさか…!という事実

七十歳過ぎまで人生時間を過ごして来ると、人生の醍醐味とはまさに、この「まさか…!」という想定外の問題にぶつかった時かと思います。

この「まさか!」の中には良い事もあり、心がうきうきと喜び幸せいっぱいの気分で世の中の暗い部分まで明るく見えたり…と勝手な心境になったりもしますが、私が今、思い返せば、逆に悪い「まさか!」の時の方にこそ、人生の醍醐味を感じます。

自身が追い詰められ、解決方法も判らず、頭の中をいろいろと思い巡らしても、一点の明かりも無く、他人や周りの人々を巻き込みながら、どんどん身近な人間関係さえも壊れていく…そして孤立していく自身の姿の哀れさ…。

 

もがけばもがく程、暗く深い穴の中に一直線に落ちていく心と精神…「ああ、これではダメになってしまう!」という時に、ふと客観的に自分自身の姿を観て、まづいかに心を建て直すかという所から私は始めました。自分を取り巻く生活条件の観念や観点の見直しを細密に分析して、一つ一つ確認と納得を繰り返しているうちに心の均衡を取り戻し、各々の問題も冷静に順序だてて解決できる事を識りました。

精神的に不安的な時に山積してしまった問題も、正義的に王道に沿って結論を出せるようになりましたし、子どもたちや仕事のことも安心して日常の生活を過ごせるようになったことが、一番の成果でした。

この「まさか!」を乗り越えて、私自身の人生観が大きく変わりました。仕事を通して知り合った人々、又、それ以外の御縁で知り合った人々に可能な限り、手助けが出来るなら精一杯する事、見返りを期待せず誠心誠意努力して接する事など…

苦しさの中で学んだこの姿勢が、自分にとって一番楽な生き方であると会得しました。本当に人生楽なんです。その苦しい時に救いの手ほどきをして下さったのが、大徳寺現住職の泉田玉堂老師でした。「人間本来仏なり…」と。

今まではどこかで無理をしたり、虚勢を張ったりがあったけど、現在はとても毎日が楽しく、安定した時間を過ごして人生を愉しんでいます。

 

これから、まだまだ「まさか!」と対面する事があるでしょうけど、乗り越えることもできると確信しています。この苦しみからの脱出過程を私は人生の「醍醐味」と理解し、納得しました。

苦しみも味のうち…

家業の有難さ

今春まで引きずってしまったコロナ騒ぎも収まらず、経済がどん底にまで落ち込み、衣食住にまで国民が右往左往する事になるとは、想定外の事態です。今夏にオリンピックを開くか、否かの論争が毎日テレビで映し出されておりますが、国民の現状はそれどころではなく、「明日をどう生きていくか…」の困窮状態だろうと思います。

当店の経営もそれに洩れず、昨年対比でやはり何割かのマイナス計上となっております。しかし、若い社員たちが昼夜アイデアを出し合い、販売方法や形を変えて、何とか営業に努力してくれているおかげで、各々、家族を路頭に迷わす事なく、ワンチームとなり、近い将来、明るい世界が来るであろう事を期待して頑張っております。

そんな希望を持てる基本は、やはり二百年近く続けて来た家業の実績と社会的信用度に依る、社員の安心感から生まれる仕事に対する前向きな意欲かと感じます。

社員の精神的安定は一日にして築かれるものではなく、始祖の江戸時代からの賜物と痛感し、戦争、不況、バブル…と様々な世相の中に於いて媚びる事もなく、傲る事もなく、坦々と日々感謝の心を持って家業を引き継いで営んで来た心得を、我々が謙虚に受け継ぎ、身体の中に刻み込む事が要と思います。

昭和30年代の店先

 

一言で家業と言っても、ある時は思い切って投資をして事業の拡張をしなくてはならない時もあるでしょうし、又、生き残りをかけて縮小する勇気も出さなくてはならない時もあるのですが、一番に失ってはいけないのが社員とその家族の生活です。

それが家業に課せられた生命線と、この年齢になってやっと判って来た事でした。

 

子々孫々続けられますように!