ぎをん齋藤
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齊藤康二

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京都東山の祇園一角に店を構えて170年余り、
呉服の専門店として自社で制作した独自の
染物・織物をこの弊店で販売しています。
ぎをん齋藤の日常からこだわりの”もの作り”まで、
弊社の魅力を余すことなくお伝えしていきます。
皆様からのお問い合わせ、ご質問などお待ちしております。
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ぎをん齋藤 齊藤康二
TEL:075-561-1207
(Mail) gion.saitokoji0517@gmail.com

桃山蒔絵笹に老松

桃山蒔絵厨子(ずし)の柄をモチーフに制作した訪問着が仕上がってきた。

厨子(ずし)とは字のごとく当時は厨房に置かれ、主に食器類を収納していた調度品のこと。

この蒔絵の特徴はまず桃山らしい老松や笹の豊かな絵の印象にある。

櫛は具象化されふっくらと表し、木はうねり躍動的に描かれ、また地の黒漆には金の箔、

砂子で表情を付け、調度品の品格にふさわしく豪華絢爛、高価なものに仕上げられている。

よくご覧いただくと笹や老松の木には地色に濃い朱が施され、金の箔と相まって

彩り豊かに表現されているのがわかる、これも桃山の蒔絵の特徴。

:桃山蒔絵厨子

さて、この当時の摺箔の技法を再現できる職人は今となってはごく僅かといっていい。

何故なら単純に金の箔を張り付けていけばよいというものではなく、葉や木、老松の櫛などそれぞれの表情を

如何に自然で大胆なものに仕上げられるか、またそれを”やりすぎない感性”も持ち合わせていなければならない

とても難しい伝統技術の一つだからである。

今回はその技法を主とした訪問着を制作した、柄は蒔絵と同じく老松に笹、

それに桐も加え、特徴である金の箔を最後に施し、桃山の魅力を思う存分表現できたと思っている。

細かい作業工程の説明は省くとして、その出来栄えはお見事。

地色、柄全体の構成、一つ一つの表現、正に桃山の蒔絵そのものといっていいほど

再現できた作品の一つとなった。

:濃緑地雲井桃山蒔絵図訪問着

 

雲取立涌に木瓜唐草文桃山縫い箔

この秋、久しぶりに京都陳列会を開催することになり、この数カ月はもの作りに集中している。

それは単純に在庫を増やすということではなく、”これ”という題材、テーマに出会わなければ始まらない。

言わば創作意欲をかき立てるような材料に巡り合うまでじっくりと資料や古裂と向き合い、

慎重に物事を進めていく大切な時間なのである。

そんな混沌とした時間が私は好きで、頭の中でアイデアや柄をいろいろ膨らませ、構想を練り上げていくと

ようやく一つのテーマにたどり着くのである。

今回、秋の京都陳列会は「京縫い」でいく。

日本の刺繍の起源は1400年の飛鳥時代に遡るといわれており、仏画の刺繍から始まる。

それから約300年、「京縫い」の原点である平安時代には貴族たちの衣装に装飾を施すため、宮中に織部司

(おりべのつかさ)と呼ばれる役所が設けられ、織や染を中心に都であった京都で縫いの技法も発展していった。

その京縫い、現在では30通りの縫い方があり、金銀含め約2000色以上の色糸をその時に応じて使いこなしている。

我々の刺繍では一柄で約15色は使い、細かい部分では葉の葉脈、留め糸、輪郭まで

それぞれ拘って色を変えている。

ここで一つ付け加えると、色数だけでいい刺繍とは言えない。

実はそれ以上に大切なことがあり、ご覧いただいてるようにいい刺繍とは生地に張り付いたような、

ビシッと均等なテンションで生地に馴染んでいるものが良いとされる。

逆を言えばどうだ!これが刺繍だ!と言わんばかりの盛り上がったものは安物といっていい。

なぜなら、同じテンションで縫い続けるにはそれ相応の経験と技術が必要で、

生地に馴染むようにするには細い糸で針足を細かく増やして緻密に刺していかないと

そうゆう風にはならない、ようするに注意深くゆっくり時間をかけるため、その分お金も掛かるという訳である。

さて、いかがでしょうか。

ご覧頂いているものは立涌に木瓜唐草文訪問着の一部。

刺繍は桃山縫い(渡し縫い)、立涌くは摺箔、まさに桃山の色調であり、

時代を反映して蘇った刺繍技法である。

 

 

 

 

能に陶酔する

先日、コロナ後も台風で流れていた能の会がようやく新門前のある料理屋で執り行われた。

金剛流のご宗家、若先生をはじめ男ばかりの錚々たる面々が集まり、

貸切った大広間でお謡いを披露する、なんとも贅沢で気品に満ちた京都ならではの会である。

午後1時半開始、金屏風に赤毛氈、すでに紋付袴に着替えた方々が見台の前に座り何気なく

ゆるりとワキ役から謡いが始まると、それに合わせて地謡にご宗家と若先生が付き、

重厚なお声が響くといっそう能楽の世界へといざなうのである。

この日の演目は松風や綾鼓、羽衣など計五曲であったが最後はあの長丁場景清、

藤原景清晩年の物語なのだが、しっとりと始まる謡いでは後半から語り継がれる戦の場面になると

とても迫力があり、かつての勇ましい姿が思い浮かぶようであった。

午後6時半、後席はいつもながら懇親会となり、優美なお謡いのあとはいい酒とおいしい料理に

舌鼓を打ち、親睦を深めるつもりだったのがその日のお世話役であった小生、大先輩からの

お達しで進行役を任され、最後の最後皆様をお見送りするまで緊張が続き、

酒も肴もまったく手につかなかったが、お役に立てるという満足感は得ることができた。

そしてまた普段とは違う非日常の世界だが、そこに身を置く意味も深く知るいい機会でもあった。