ぎをん齋藤
ぎをん齋藤

女将思い出語り

中村吉右衛門丈の想い出

恐れていた知らせが入ったのが十一月二十八日深夜でした。中村吉右衛門丈が亡くなったのです。七十七歳の生涯でした。

昨年春にお会いした折に「八十歳になったら人生最後の勧進帳の弁慶を演じるのが楽しみなんですよ!」と腹の底から実に嬉しそうに、ハツラツと凄い情念を持って「勧進帳」への思いを語り、私も是非とも!是非とも!と拝見を期待し、あわよくば同じ舞台で孫の丑之助君が成長して義経を演じてくれたら、見応えのある舞台になるだろう…などと勝手な想像をしながらお話を伺っておりましたが…。

その後少しずつ体調を崩され、舞台を休演することも度々となり、不安と心配が続きました。

 

私と吉右衛門丈のご家族とは、菊之助さんの奥様となられた瓔子さんが小学一年生になったばかりで可愛い盛り、いつもお母様の後からそっと顔だけ出してじっと私を見つめるお姿も思い出しますが、それから今日までお着物等のお引き立てをいただきましたが、私的なお付き合いもさせていただきました。四人のお嬢さんたちが代わるがわる我家へ遊びにいらしたり、一緒に文楽を観に行ったり、又お父様の「鬼平」撮影の合間にご家族一緒に貴船や鞍馬山へお父様のナレーション付きで遠足したり、帰りの山路はみんな「キャッ!キャッ!」と賑やかに、騒ぎながら歩き回った楽しい思い出があります。

女性ばかりに囲まれた天下の「鬼平」もさすがに形なしで荷物を背負ったり、お嬢様方の後身を押して石段を登ったりと、満更でもない極上のお顔で嬉しそうでした。

 

中村吉右衛門丈は外見的に、確かに実像もその通りですが、体勢を崩すことなく寡黙で常に頭の中は舞台の事を考えていらして、初代がどのように演じていたか…等と熟考しておられました。その熱心さで私たち観客はどっしりとした重厚な舞台を拝見する機会に恵まれたのですが…。周りの人々を近づけさせないような硬派であった事も真実でした。

舞台以外の吉右衛門丈は実にシャイで京都へいらしても一緒にお食事をする人は限られていましたが、その中に私を加えて下さって、奥様と三人で度々、楽しく卓を囲めた事は、大変光栄な事でした。

話題は歌舞伎のお話は勿論ですが、絵を描くことがお好きで、鴨川の四季風景でお気に入りの場所とかを長々と饒舌にお話し下さいますが、私も興味深々なので何かと質問責めになると生来の生真面目な人柄なので全てに応えて下さいました。そんな時はふっと歌舞伎役者を忘れさせるような親近感で、接して下さいました。

とても学識が深く、物事を多面的に解釈して語って下さるので、実に勉強になる事が多かったです。

 

近年は舞台で使う小道具を自分好みに新調する為に京都へお運びになり、その折七年程前になりますが、当方主人に「俊寛の衣裳をつくりたいけど…」と依頼がありました。俊寛は時代考証上から平安末期からの柄でないといけないので、当方主人も時間をかけて四・五両(枚)の小袖を集め、それを更に切り継ぎ接ぎした後、繊維をボロボロに破れたり切ったりするのですが、やはり時間のかかるご依頼でした。

その後準備中に主人が病魔に冒され、続きに吉右衛門丈が入院と…各々が闘病生活となりました。二人とも健康を取り戻し、各々の道を再び歩む事を念じ、期待しておりましたが、主人が先に、そしてその一か月後に吉右衛門丈が西方浄土へと旅立ちました。大変口惜しく、残念な事でした。

吉右衛門丈の柩の上には、主人が俊寛衣裳用にと残した古裂の一両を棺掛布にして覆わせていただきました。

合掌。

「相変らず…」の有難さ

年末が近くなると床間の軸は「無事」と書された掛物に替えます。今年も家業、家族に何事もなく「相変らずの一年だった…」と云う意味を持ち、感謝と来年も「相変らずの一年でありますように…」と祈る気持ちで床飾りをします。

しかし、ここ二年間は年末にこの軸を掛けても、コロナ禍で人の心が閉ざされ虚無感で毎日のニュースも悲惨な事柄が続き、全世界が「うつ状態」でした。

コロナ禍前の日常生活を我々は当然に、そして更に不平や不満を胸に溜めながら無意識に時間を浪費して過ごして来ました。平時の日常が非日常に変化した時、人間の心の弱さ、集団から産まれる恐さは心の不安定さを増幅します。

この経験から私たちは日常些事の取るに足りないような事柄が改めて有難い事を痛感しました。十月からは行動も緩和され、少しずつ小さな光が見えて来たような気がしますが、浮き浮きする心をおさえて、一歩一歩慎重に日常生活に戻していけたら良いだろうと感じますし、以前に浪費して来た「相変らずの一日一日の大切さ」を実感しつつ、感謝して丁寧に生きたいと思います。

私もこの一年は悲しい別れも経験し、決して「相変らず…」ではありませんでしたが、だからこそ日常些事の有難さを念頭におき、大切に過ごしたいと思います。

建具のころも替え

十月に入り秋の透明感ある朝晩の空気を期待してましたが、あら!まだ残暑が続き温度計では夏日を記録しました。それでも我々の京都では十月一日より建具のころも替えをのれんと共に準備して掛け替えます。

夏の簾戸から月見障子の建具や襖に替え、更にそれまで敷きつめられていた籐網代を取り除き、畳表となります。今や建具を季節毎に取り替えるなんて一般家庭では死語になりつつあるでしょうし、又、この建具を収納する場所すら住まいの設計時点で除外されている現代に、だんだんと季節の変化に対して鈍感になりつつあるのかも知れません。

 

産まれた時から完全空調設備の中で養育された子どもたちは、季節に関係なく望む物をいつでも食せる事により、更に「季節感」を忘れ物として育つ危うさと共に、追いうちをかける様な地球の温暖化も加わります。

このような無機質的な日常の中で京都へ旅して来られると「建具のころも替え」によって、ふっと我に返ったように感動して下さいます。季節を感じる事は五感を刺激する事で、感受性が育まれて美意識が高まります。大切な日本人の本性が再復活し、国民の独自性の取り戻しです。

 

着物のころも替えも、夏の麻とか芭蕉とか夏草の素材から、真綿、絹等と冬に向けての生地へと変わり、着物と帯との色合いも暖色系の組み合わせへと移っていきます。この様に、季節毎に四季にこだわり一年の変化を意識的に自ら進んで行わないと我々は虚空的な実に寂しい人生を過ごす事になってしまいそうです。

是非この「建具のころも替え」を済ませた京都へお運び下さいませ。きっと御自分の日本人の感性を取り戻すことでしょう。

お待ち申し上げます。